円明院の歴史

円明院の歴史について

円明院(圓明院)は、明治5年(1872)太政官布告で修験宗が廃止されるまでは、羽黒山(山形県)を本山とする羽黒派修験に属し、旧中村藩領本司華輪山日光院末でした。 廃止後、圓明院は改宗して比叡山延暦寺の天台宗派となり現在に至っています。

当地方では、修験道を実修する修験者の多くは村に住む里修験で、人々からは山伏とか法印と呼ばれていました。 里修験者は、ごく最近まで天台宗の僧侶でありながら、しいを纏い、神官の祭事祈祷、僧侶の祭儀、法要なども兼ね、それを職掌とする宗教活動を行っていたのです。

円明院 奥の院秘話…

古くから円明院は、地元の漁師さんから、船の安全、大漁祈願、一家の繁栄をかなえてくれるお寺として深く信仰され、大層賑わっておりました。人々は、奥の院に奉られた毘沙門天様をお守りし、当時から「竜神様のお寺」「大蛇山」などと呼ばれて、遠くからも多くの参拝者が絶えませんでした。 昭和17年5月1日、飛び火による火災から円明院の本堂が全焼いたしました。

その後大東亜戦争(第二次世界大戦)が始まり、本堂を復興したくとも材木などの 材料が足りませんでした。 そこで裏山の頂に立つ奥の院の毘沙門天さまにお願いを申し上げ、奥の院を解体 して本堂の一部として使用させて頂きました。 そして、復興した本堂(現在皆様が起こしになられています)にて御法要・御祭事を行い、今日に至るまで円明院としてのお勤めを重ねて参りました。 円明院は、ご参拝に訪れた方々から、「健康になった」「願いが叶った」と結果が出ることが(現世利益)口コミで広がり、大勢の方々が 海外及び全国各地から参拝に訪れています。

震災前には大型バスが何台も、多くのご参拝者を乗せて当山にいらっしゃいました。 円明院はご利益のある寺として様々な場所で紹介された為、多くの霊能者や神通力を持つ方々、先生方が大勢見えました。なかでも、大変に高い霊能力を持つ方から、「円明院の本堂は神々(仏)の光がいっぱいに溢れ、七色の光におおわれている聖域である。奥の院には大龍神様がおられ、いろいろな神々様が集まられておられる文明の大聖地である。又、住職(29代 泉 智教住職)には、多くの神々様が応援されておられるが、特にしっかりと「毘沙門天様」が御付きになっております。この地は今後ますます大事な場所となり、人類救済の所となる役目がある。多くの人が力をあわせてこの大事な聖地を守って欲しいと神々様が願っておられます」とお話されました。


29代目 円明院 当代住職 泉 智教(Izumi Chikyo)

皆様、日々楽しく過ごされていらっしゃいますか?
円明院29代目住職の泉 智教です。かねてから、お寺は亡くなった方へのご供養という常識が御座いますが、私は円明院を「生きている人の為の寺」として住職を務めさせて頂いております。

「人生一回やり直しは無し。楽しく生きて幸せになる」を日頃より念頭に掲げ、[生きて幸せになる幸せ人生断言] [幸せ生き甲斐断言]などの講話を開催しております。

皆様の人生が、どうかお幸せで有ります様に、心からお祈り申し上げます。